月のないそら。


第一章



「彼、最近おかしくない?」

前触れもなくそう切り出されて、高崎は三度瞬いた。
「彼……って」
「宇都宮に決まってるでしょ」
反応を選びかねて呟いた問いには、容赦ない答えが返る。爆弾を投げ込んでおいて京浜東北は、制服の腕を組み深々と溜息をついた。
「どれだけ鈍いの、君」
あれだけ一緒にいるくせに。呆れた様に言われて、かっと頬が染まる。
「べ……つに、好きで一緒にいる訳じゃねぇよ!」
吐き捨てる様な強さの言葉にも、相手は僅か程も退く様子はなく、逆に冷たい色の眼に見据えられて言葉を失う。
自分たちの中で最も古株の彼は、時折こんなふうに、見透かすような眼で人を見る。
「まあ、気付いてないものはしょうがないけど。そういうとこが、君の良い処でもあるし」
もう一度吐息して、京浜東北が手元のコーヒーを啜った。
「君が何か知ってればと思ったんだけどね。そういうことならまあ、放っておくほうがいいのかな」
隠したいんだろうし、彼。
高崎が気付かなかったのはつまりそういうことなのだろうと、自己完結してカップを口に運ぶ京浜東北に、けれど高崎は納得出来ず眉をしかめる。
「ちょ、待てよ……!」
問い詰めようと口を開いた瞬間、ガチャリと音を立てて部屋の扉が開いた。
後ろ手にドアを閉め、今日も今日とてやる気のない猫背で、武蔵野が歩いてくる。
「あーったく、勘弁して欲しいよな!なんかあったのか?アレ」
先程淹れられたばかりの京浜東北のカップを奪って一息に飲み干してから、今日も絶賛遅延中の男が机に倒れた。
「どうしたの、罵られ慣れてる君にしちゃ珍しいヘコみっぷりで」
小言を諦め無言でコーヒーサーバーに向かった京浜東北に代わり、離れた席で京葉と共に傍観を決め込んでいた中央が声を掛ける。
突っ伏したままよくぞ訊いてくれたとばかり拳を固め、武蔵野が低く唸った。
「いやもー、今そこで宇都宮に会ったんだけどさ。なんか虫の居所悪かったらしくてちょおぉ怖ぇの!今更俺の遅延くらいで何キレることがあるんだっつんだよ、なあ?」
ぶつぶつ文句を垂れ流す武蔵野に、その思想は危険だ、というツッコミを全員が胸に仕舞う。それこそ今更だ。
「大体、奴んとこに影響出てる訳でもねぇのにさ。なんだ生理かアイツ」
「やめなさい下品だから。……でも武蔵野にまで判るって相当だよね」
かなり失礼なことを呟きながら、京浜東北がちらりと高崎を見た。その青い眼に責められているようで、苛々する。
「あいつが容赦ないのなんかいつものことだろ。何を今更騒いでんだよ」
その視線から逃げるように目を逸らして切り捨てれば、相手は何か言いたげに口を開き、結局諦めたように閉ざした。
いつものこと、ではないのだ。それなら皆、こんなふうに話題にしはしない。
個性の強すぎる者の寄せ集めだから、常に何かと揉めはするけれど。それはそれで、自分たちにとっては正しい状態で。
そのバランスが崩れているからこそ、違和感を感じるのだ。
「恋煩いだったりして。だったら面白いのにね!」
いつも悩みのなさそうな笑顔で、京葉が楽しげに笑った。その声が、嫌に耳に障る。そんな訳ないだろ、呆れたように中央が呟くのを聞きながら、音を立てて席を立つ。
「何処行くの?」
「運行確認。……風が出てきてるみたいだから」
京浜東北の探る視線から目を逸らして、低く答えた。
我ながら言い訳染みた口調だと微かに思う。机に伸びたままの武蔵野が、眼だけでこっちを見ているのが判った。
「…………ッ」
振り切るように踵を返し、部屋を出る。
閉めたドアに寄り掛かれば知らず溜息が零れて、高崎は自分がひどく気を張っていたことに気付いた。

―――そういうとこが、君の良い処でもあるし。

慰めのはずの言葉が、胸に重い。彼はただありのままを述べているだけだと判るから、尚更。
「あー……」
頭を掻いて俯いた視界の端に、ふと見慣れた制服の色が移り込んで、高崎はがばりと顔を上げた。
その動きで向こうもこちらに気付いたらしく、切れ長の瞳が僅か見開かれるのが遠目にも判る。
「高崎……」
何故か軽く息を飲んで足を止め、5メートル先で宇都宮が小さく呟いた。呼び掛けと言うにはあまりにも微かな声。
しかし、つと眼を伏せた次の瞬間にはもういつもの表情で、彼は再び歩き出す。
きちんと背を伸ばした端正な歩き方で高崎の前まで来ると、静かな声で言った。
「邪魔だよ高崎。出入り口に突っ立ってないでよね」
「あ……ああ、悪い」
何故か妙に気圧されて体をずらす。が、すぐに部屋に入るかと思われた宇都宮は高崎の前に立ったまま、ドアノブを見つめて口を開いた。
「武蔵野、いた?」
「ああ……中にいるぞ。なんかお前に文句言われたってぶつくさ言ってたけど」
「自業自得だよ。この程度の雨で遅れるなんて」
いい加減にして欲しいね。
いつも通りの辛辣な言葉は、けれど何処か違和感を伴って耳に落ちる。その正体を掴みかねて、高崎は宇都宮の横顔を見つめた。
「……雨、大分強くなって来てるみたいだな」
「この程度ならまだ問題はないよ。こんな雨で影響を出すのなんて、武蔵野と京葉くらいだ」
言葉とは裏腹に、強い雨が窓を叩く音が廊下に満ちる。部屋にいる時は気にもならなかったその音は、白々とした人工の光に満ちた廊下では、ひどく非現実的に聞こえた。
リノリウムの白に、雨の影が映る。その先を探すように、宇都宮が窓の外を見遣った。
「この調子だと遅延じゃ済まなくなりそうだね。今のうちに釘でも刺しておくかな」
静かな声が、ぽつりと空間に落ちる。
独り言のようなその声を聞いた瞬間、唐突に違和感の正体に気付いて、高崎は愕然とした。

今日。まだ、彼の眼を見ていない。

巧妙に逸らされ続けた視線は、最初の一瞬以外高崎のそれと合わされることはない。
いつも人を食ったようなわざとらしい笑顔で、真っ正面から皮肉をぶつけてくる彼が、今日はまだ一度も笑っていない。
その事実に、今更ぞっとした。

(いつから……?)

必死で記憶を探る。最後に彼と、まっすぐ向き合って話したのはいつだったか。
いつからあの眼は、自分を見なくなった?

―――あれだけ一緒にいるくせに。

さっき聞いたばかりの声が、耳を掠める。呆れたような――何か言いたげな。

「……っ宇都宮!」
訳の判らない焦燥に駆られて、強く目の前の肩を掴む。次の瞬間、その手は高い音を立てて払われた。
反射のような手加減のなさで高崎の手を拒んだ宇都宮が、はっと顔を上げる。
「……ごめん。でも急に人に触るのはマナー違反だよ、高崎」
捕らえたと思った視線はすぐにまた床へと戻された。
代わりに渡された言葉は奇妙なほど虚ろに響いて、高崎は何も言えずに立ち尽くす。
(ごめんなんて)
そんな顔して言うくらいなら、どうして。
「……風が出てきたみたいだ。君も気をつけた方がいいよ」
自分とよく似た制服の肩が、目の前をすり抜けて扉の向こうに消える。
その台詞はやはり、ひどく言い訳めいていると思いながら、高崎はただ彼の消えた扉を見つめていた。
あの部屋の中で彼は、どんな顔を見せるつもりだろう。

さっきまで自分のいた場所が、何故かとても遠かった。




[第一章→]


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世間と本家様にに喧嘩を売り倒す脅威の宇都宮総受小説。
ハルオんとこに1本(しかも序章)上げたままXヵ月放置した曰くつきのアレです。
CPは(東北×上越+高崎)×宇都宮、です。上越上官の鬼畜攻です。
最終到達点はたかうつ(予定)の東北上越(希望)です。
うん大丈夫☆て方だけお願いします。ホントに。

あ、通称に週刊て付いてますが間違っても週刊ではありません。
由来を話すとと長くなるので放置しますが、騙されないで下さい。

しかしこれをハルオの就職祝いに送りつけた俺は鬼だ。