ペーパークラウン



ドアを開けた途端、目に飛び込んで来た光景に、北陸は数秒、動きを止めた。

JR高速鉄道専用の控室。
広さも設備も在来のそれとは段違いのその部屋のいちばん奥、窓辺に置かれた長いソファの上で、良く知った人物がひとり、寝息を立てている。
「……山陽先輩?」
珍しい、と素直に思った。
高速鉄道の中でただひとり、西日本所属である彼は、西日本気質とでも言うべき独特の気性を持ち合わせている。
良く言えば軽快、悪く言えば軽薄。どんな時も飄々と、すべてを笑ってやり過ごす軽やかさは、仲間たちをして東海道と足して二で割れば丁度良いのに、と言わしめる程で。
けれど実の処、芯はひどく真面目な人だと知っている。
仕事をおろそかにすることは決してないし、プライドも高い。
ふざけてみせても結局、投げることなど出来ない性格は、少し付き合えばすぐに判った。
だからこそ、こんな真昼からこんな場所で、こんなふうに無防備に眠っている
彼、というのは、何処か非現実的にさえ見える。
室内に、他に人影はない。音を立てないよう気をつけてドアを閉め、北陸はゆっくりと近付いた。
どうしても鳴ってしまう革靴の踵が、ひどく気になる。
茶色い革張りのソファの上、横向きに僅か足を縮めて、山陽は眠っていた。
午後の陽射しが柔らかに落ちて、彼の頬に窓枠の影を刻む。ちらちら揺れるのは、雲の影だろうか。
茶色く焼けた髪の先が、光に透けて金色に光った。引き寄せられるように傍らに膝をついて、一筋、指に絡める。
距離が縮まったせいか、微かに開いた口許から健やかな寝息が聞こえて、北陸は少し笑う。
こんなふうに安らかに眠る彼を見たのは、初めてだ。
「いっつもつい、無理させちゃうからなー……」
彼に触れる時、何処か余裕のない自分は自覚している。
熱を欲しがって言葉を欲しがって、彼が泣いても怒っても離してやれない。
だから、自業自得なのだけれど。
「あんたのせいですからね」
自分の知らない処でこんな顔を見せる彼が悔しくて、駄々のように呟いた。
あんたがいつまで経っても、俺の欲しいものをくれないから。
だから俺はいつまで経っても、欲しがるのをやめられない。
「あんたが、悪いんですから」
傷んで絡む毛先を解きながら、零れる声はどうしようもなく責める響きを帯びた。
眠る彼は何処までも穏やかで、昨夜触れたばかりの指先を思い出す。
しょうがねぇな、吐息混じりの優しい声までもが耳に返って。
こちらの我儘に折れる素振りでいつも、最後には勝手を許してくれる彼が、応えてくれていないとは決して思わない。
だからこれは、仕様のない繰言と判ってはいるけれど。
(……疲れてる、このひと)
閉じた眼の下に浮かんだ隈に気付いてしまえばただ痛々しくも見えて、自分の欲しがっているものさえ見失いそうになる。
これ以上何を、そう思う気持ちは確かにあるのに、こうして眠る彼を見ていると、彼の笑顔を思い出せない自分に気付いた。
「……いつになったらあんたは、俺のものになるんでしょうね」
眠る山陽の顔の側に、ことんと頭を預ける。間近で見る肌は白く、薄い睫毛の落とす影が青く映った。
すぐ側に投げだされている指先に触れると、夢の中のひとが柔らかな力で引き止める。
同時にほわりと微笑まれて、鼓動が跳ねた。
(……うわ)
何か叫び出しそうで、慌てて逆の手で口許を押さえる。
(ちょ、反則……!)
こんな、無防備に幼い笑顔。初めて見た。
(うわどうしよう)
可愛いですよこのひと。
不意打ちにカウンターを食らっていっぱいいっぱいな北陸の指を握って、山陽はまだふわふわと笑っている。
うにゃうにゃと意味を成さない寝言を漏らす口許が何処か幸せそうで、あわあわしつつもなんとなく癪に障った。
(誰の夢見てんですか、先輩)
我ながら、心が狭いなあとは思うけれど。
彼が笑っていればいいと言いながら、その相手は自分でなければ嫌、で。
ああこれじゃ、子供と言われても仕方ない。
「うわ、ヘコむかも……」
繋がれた指はそのままに、げっそりとソファに突っ伏す。上等な革のひやりとした感触が、火照った頬に気持ちいい。
「……山陽、せんぱい」
ぽそり、と名前を呼んだ時。
「……ながの……」
吐息のような声で。
それでも聞き間違えようもなく確かに耳に届いたその声に、北陸は愕然と眼を見張る。
「……うっそ」
そうくるか。
あのひとでも他の誰かでもなく、よりにもよって。
「そっちかよ……!」
ギリギリとソファに爪を立てて、北陸が低く唸る。
ああそうでした、あの笑顔。
よくよく考えてみたら、昔はしょっちゅう見てましたとも。
ただあの頃は、いつも見上げていたから。咄嗟に思い出せなかっただけで。
(不毛だ……)
ただでさえ、幼い嫉妬なのに。
まさかその相手が過去の自分だなんて、酷すぎる。
勝負のしようもないなんて、そんなの。
「ほんっと凶悪……」
はあぁ、と深々息を吐いて、もう一度顔を伏せて。
思い出す。
―――長野。
幸いを呼ぶような、愛しげな、声。
まだこんな気持ちを知る前の、幼い自分が持っていたもの。
彼の顔に掛かる前髪が惜しくて指でそっと掻き上げれば、その感触に彼はうっすらと眼を開けた。
明るい茶色の瞳が僅か、夢の続きを探すように彷徨い、やがて北陸の上で焦点を結ぶ。
「……あ?お前、いつの間にんなデカくなったんだ」
「……寝惚けてますね、先輩」
心底不思議そうに問われ、もう揶揄う余裕もなく北陸は肩を落とした。
「あー……夢見てたな。お前がちびで」
ごろんと寝返りを打って天井を見上げた山陽が、射し込む陽の眩しさに眼を細める。
「ちまちま後追っかけて来て、せんぱいせんぱいって。しょうがないから手ェ握ってやったら、笑ってさ」
「その結果なんですね、これが」
夢を辿る彼に、意趣返しの意味も込めてわざと意地悪く、握られたままの手を示してやる。
と、一瞬ぽかんとした山陽は、次の瞬間鮮やかなほど見事に真っ赤になった。
「なっ……何やってんだてめ、勝手にっ」
「俺のせいじゃないですって。先輩が寝惚けて握ったの、勝手に」
呆れたふりを装って言葉を返す。山陽が何か言いたそうに、けれどどうしようもなく鯉になっているのが面白い。
「ちびならよくて、俺は嫌って酷くないですか」
慌てて離れようとする手を許してやらず、逆に握り込んで身を寄せた。
「俺だって手、繋いでて欲しいよ。先輩」
切なげに囁きながら覆い被さるように動きを封じられて、山陽が真っ赤な顔のまま悔しげに歯噛みする。
「……て、てめぇ……ろくでもない大人になりやがって……」
じりじり顔を寄せられて逃げることも出来ず睨みつけてくるのが、ひどく可愛い。なんて末期症状。
「しょうがないですよ、お手本はあんたですから」
責任、取ってよ。
囁いて、合わせた唇で反論を封じた。
触れた瞬間、繋いだ指が縋るように力を増して、気付かれないよう小さく笑う。
子供から大人になって、幾つかのものを失ったけれど。
代わりに得たものは、こんなにも大きい。
それでも尚、その先を欲しがる自分には呆れるけれど。
「……大人になるって、贅沢になるってことですよね」
上着の裾に手を忍ばせて、寝起きの高い体温をシャツ越しに楽しみながら、北陸は頷いた。
窓越しの光は、ゆっくりと朱の色を帯びていく。
(もう一時間くらい、見逃してもらえないかな)
この不在を年上の同僚たちに気付かれていないとは思わず、けれどだからこそもう少し眼を瞑ってもらおうと、虫のいいことを考えてソファと彼の背の隙間に腕を伸ばした。
「なんなんだお前!訳判んねぇよっ」
抱き込んだ腕の中で、まだ頭が追いついていっていないらしい山陽が、困惑しきって叫ぶ。
夕陽のせいだけでなく赤い頬にキスを落として、北陸はにっこり微笑んだ。
「何言ってんですか、今更」
判らないのか、判りたくないのか。
(逃げたきゃ逃げてろよ、いつまでも)
何度でも、言ってやるから。
届くまで。
「早い話が、愛してる、ってことですよ」
今も昔も、この先も。ずっと。

掴んだこの手だけ、離さずにゆくから。


[end]


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北陸山陽にこめ。
ハルオちゃんの長野話が可愛くて、逆視点で書いてみたくなりました。
要するにパクリです。

山陽的には長野と北陸は違うものとして考えたいんだけど、イマイチうまくいかない、て感じだといいなあと思います。
北陸は北陸で、無条件に可愛がられてた過去の自分に無意味にジェラってたりすると萌える。

どちらにとっても黄金時代。