はらり、ひらり。
 白刃が閃く度、薄紅が舞い上がり、渦を巻く。その最初の一片が地に落ちるかと思えば、刹那の際で再び銀が疾る。
 空に掛かるは猫目の月。その細さにはいっそ不似合いな程の冷たい輝きは舞い踊る花弁を透かし、闇を怪しく染め上げた。
 ひらり。また一閃、光が駆ける。
 岩をも斬り裂く竜の爪は、しかし今この時、儚く揺れる薄紅に傷ひとつ付けることはない。磨き抜かれた刃はただ翻り、その軌跡に合わせて淡く光る華がくるくると宙に溢れる。
 幻想的なその光景は、けれど奇妙に虚ろにも見えて。
 ああ、まるで恋を嘯く何処ぞのお調子者のようだ。ふとそんなことを思い、顔を顰めた竜はぴたりと動きを止めた。
「政宗様」
 その一瞬を見計らったように掛けられた声に、ゆるりと振り向く。ほろほろと地に降りていく薄紅の紗の向こう、濡縁に端座した傳役が咎めるように眉根を寄せた。
「まだそのようなお姿で……早うお召し替えをなさいませ」
 夜更けには不釣り合いな戦装束の蒼に、連なりそうな小言を政宗はひょいと竦めた肩で押し留める。
「Oh sorry, 小十郎。だが、もう少しだけ待っちゃくれねぇか」
「さて、いつまで待てば宜しいのでしょうか」
「さあなァ、半時か、夜明けまでか」
 空言めいた呟きに眼差しを険しくした側近に、竜はふ、と笑った。
「……胸が騒ぐんだ」
 徐に上げた左手を、胸元にひたと当てる。堅い鎧のその下で、とくりとくりとさざめく鼓動。
「こうも月が明るくちゃ、鎮めることも出来やしねぇ。……見逃せ」
 苦笑する主の隻眼に閃いた餓えの火に、右目は気付かれぬ程にそっと、吐息を落とした。
 刃のような月は、この竜の徴であった筈。けれども竜は今、当の月に捕らわれている。
 月の光はひとを惑わすという。常ならば笑い飛ばすだけの迷信も、今はまるで洒落にならない。
 惑わされるのは、欠けているからだ。あの月と同じように、全ではない歪なかたち。
 竜は、己の欠落を知ってしまった。あの、対極のような紅に出逢ってしまった、あの時に。
 運命と呼ぶのも莫迦莫迦しいような偶然で、指と指を組むように組み合わされた存在は、もう二度と個には戻れぬのだろう。己の足で立っていても、ずっと深いところで結び合わされている。まるで双子のように。
 そうしてそれはきっと、どちらかが失われたとしても変わらないのだ。
「―――間もなく桜も散りましょう」
 零れた言葉に、ふと顔を上げた主の独つ眼が揺れる。頑是無い、その色。
 真田から文が届いたのは、初雪の前だった。
 曰く、雪解けと同時に、大きな戦に出る。次に逢えるのは若葉の頃になるだろう、と。
 政宗は返事を書かなかった。文を届けた忍も、特に返答を欲しはしなかった。
 あれから四月。この花が散れば、約束の季節がやってくる。
 真田の消息は、敢えて調べさせていない。
「あれは、殺しても死にません。そのようなこと、貴方が一番ご存じの筈」
「…………」
 応えずくるりと背を向けた蒼の周囲で、ざあと風が舞う。一息に空に駆け上がった薄紅色が、けして混ざらぬ蒼を隠すように螺旋を描く。
 その往く手を見遣り、政宗はゆっくりと瞼を落とした。
 桜の色は、人の血の色だという。なればあの紅に等しいものだろう。
 けれど違う。これでは足りない。こんな熱のない欠片ではなく、ただこの眼を焼く程に鮮やかなあの炎が欲しい。
 思わず、チ、と舌を打った。
(……とっとと来やがれ、莫迦野郎)
 お前は今、何処でこの月を見ている。






 帰城するなり具足も解かず再び飛び出そうとする主の腕を、間一髪で掴めたのは奇跡としか言い様がない。
「ちょっと旦那、何処行く気!? 御館様のところならせめて着替えてからにしなよ!」
 鮮やかな深紅の装束は煤け罅割れ、見る影もない。所々にこびり付いているのは血の痕だろうか。本人は至って元気そうなので大方は返り血だろうが、それでも主君の前に晒して良い格好ではない。戦場ならばともかく。
 けれど焦れたように振り向いた主は捕まれた腕をもどかしげに引いて叫ぶ。
「御館様には既にお会いしてきた!」
「……ならなんでそんなに焦ってるのさ?」
 今度の戦は長かった。幸村は最前線に出され、後陣で采配を振るっていた主君への目通りも叶わぬ状況が続いていた。
 常日頃から信玄を崇拝してやまぬ彼のこと、敬愛する主の無事が気になって仕方がないのだろうと思っていた佐助は、予想を外されて首を傾げる。
 が、そんな忍の手を払った幸村は、ぶるりと頭を振って。
「政宗殿が、呼んでおられるのだ……!」
 あっ聞かなきゃよかった、と後悔してももう遅い。凛々しい眉を切なげに寄せた若虎は、自由になった拳を戦場の埃に汚れた胸に押し当て、眼を伏せる。
「聞こえぬか、佐助。あの方が、この俺を呼んでおられる。これ以上お待たせする訳にはいかぬ!」
 いや聞こえねぇし。ぽろりと出掛けた言葉を寸でのところでぐっと呑み込み、優秀な忍は深々と吐息した。
 仰いだ空には、金というには少々安っぽい黄の色をした猫目月。何処ぞの竜が戴くのと同じ弦月が、憎らしい程鮮やかに輝いている。
 ふと、四月前、幸村からの文を届けた時の、竜の横顔を思い出す。
 今にも雪が舞いそうな寒さに不釣り合いな蒼の単衣を纏った男は、目を通した文にふぅんとひとつ、鼻を鳴らしただけで。
 そのまま興味を失ったように文机に料紙を放り、用が済んだならとっとと帰れ、と素っ気なく言ったきり背を向けた。だから佐助も、そのまま帰ってきた。
 その背の意味が判らぬ程、最早佐助とてあの竜を知らぬ訳ではない。
(ああもうほんとに、どうしようもないね)
 ばりばりと乱暴に頭を掻いて、懐から手拭いを引っ張り出す。
「ホラ、せめて顔くらい拭いて! 竜の旦那は身形に煩いんだから、そんなボロボロのカッコで押し掛けて、蹴り出されたって知らないんだからね!」
 ぐいぐいと主の煤と血に汚れた顔を拭いながら言い捨てれば、幸村はきょとんとどんぐり眼を見開いて。
「何を言うか、佐助。あの方は身形如きで、俺を拒絶したりなどせぬぞ?」
「………………」
 どうしようもなく平たくなった眼で傲慢な惚気を垂れ流した主を一瞥し、不憫な忍はさっさと手拭いを仕舞った。いい加減付き合っていられない。こっちだって戦明けで疲れているのだ。
「行くならとっとと行っちゃって下さい。そんでさっさと帰ってきてよね」
「うむ! すまぬな佐助」
 満面の笑みで頷いた幸村は、けれど次の瞬間には男の顔になって、真っ直ぐに駆けていく。逸る心を映してか、手にしたままの二槍の先に、闇にも鮮やかな火が灯った。
 あの調子ならば、佐助が手助けせずとも朝には奥州に入れるだろう。もしかしたらこの夜の内に、竜の許へとたどり着くかも知れない。大概人外な主なので、今更驚きはしないけれど。
(……イイ顔しちゃって)
 月を想う横顔は、すっかり大人の顔だった。いつの間にあんな顔をするように、と思えば淋しいような気もしなくもないけれど。
「ったく、責任とってよね? 竜の旦那」
 天を仰いで呟いても、煌々と輝く月はただ笑うばかりで。傲慢な程その存在を主張する黄色に、さっさと雲でも出てくれりゃいいのに、と苦々さがいや増す。
 構いはしないだろう、だって虎はもう、地に降りた月だけを見ている。どんな見事な月だって、たったひとつの本物には敵いやしないのだ。


 君を想って、熱を欲して。
 今はただ、同じ月の下に貴方がいるこの幸いを。 



[了]


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1/3宴でお披露目のスカジャンに滾った結果の突発妄想。
勢いの余り着地点を間違った気がしなくもない。

ちなみに現物は1/6現在速攻で売り切れておりますwww
こっちが間に合わなかったよwwwww