曄空



「あーあ、計画倒れもいいとこだよ」

 今を盛りと咲き誇る百日紅の花弁が、ほつりとひとひら、地に落ちる。
 それを見るともなし眺めながら、佐助はやるせなくため息を吐いた。

「そりゃね? こんなご時世だし、ものっすごい幸運なんだろうなーとは思うよ」

 明日をも知れぬ、乱世の中で。己の唯一を見つけられるなど、砂に落とした石英の粒を拾うが如き難行だ。
 何処ぞの風来坊の言ではないが、戦に生きるより余程美しく難しい。
 けれどあのひたすらに真っ直ぐな、それ故危うい主にこそそれを持って貰いたいと、強く願っていたのも事実。
真っ直ぐなものは折れやすい。撓る若木を天衝く巨木に仕立て上げるには、添え木が必要だ。
 それでも己が夢見たのは、あんな荒々しくも恥ずかしい光景ではなかった。

「旦那にはいつかかわいー花のようなお姫様を見つけて貰ってさ、お雛様みたいに仲睦まじく、穏やかに暮らして貰うはずだったのに……」
「夢見がちだな、忍」

 ささやかな望みをざっくり切り捨てて、隣に座した男が茶を啜る。

「忍のくせにそんなんじゃ、いつか命を落とすぜ」
「……お気遣いアリガトウゴザイマス」

 大丈夫俺様優秀だから、と言い返しつつ恨みがましく下から見やれば、涼しげな横顔はこちらに目もくれず、ただ眼前の光景を見つめている。厳つい面には、ひとかけらの悲嘆も焦燥も伺えない。――内心はともかく。
 これが年の功ってやつかと半ば感心しながら、佐助はまた深く吐息して傍らの干菓子を摘んだ。
 歯の間でほくりと崩れる、儚い感触。

「……姫だろうが鬼だろうが、結局てめぇは満足しなかったさ」

 ぽつりとそんな言葉が降ってきて、刹那、取り繕うことすら忘れてぱちりと瞬いた。
 無言でまた目を向ければ、竜の右目と呼ばれた男は相変わらず表情を変えぬまま、前を見ている。
 参ったなあと頭を掻いて、冷めた白湯で口の中の干菓子を無理矢理流し込んだ。

 いつかは可愛らしい姫を伴侶にと、思いながらもまだ早いと、旦那はまだ子供だからと言い訳を重ね、その日を延ばし延ばしにしていた自分は自覚している。
 何も持たないこの手に何の気負いもなく滑り込んできたちいさな手を、放すのには勇気が要った。
 刷り込まれた、庇護欲にも似た執着が、彼の為にならないと知っていてそれでも、どうしても手放せなかった。
 いつか、でも今じゃない、もう少しだけ先で。
 そうして騙してきたはずの子供はいつの間にか立派な男になって、背負われていたはずのその足で、遥か先を駆けていたというのに。

 ―――あの方が、愛おしいのだ。

 何かの堰を切るように、彼がぽつりと呟いた日を憶えている。

 ―――あの眼が、あの声が。あの御方の存在そのものが、ただ愛おしいのだ、佐助。

 どうしたらいい。

 焦れたように問う声は低く、孕む狂気にぞくりと背が粟立った。そのくせ、炎を宿す眼が見つめる指先は、家路を見失った子供のように頑是無くて。
 ああこの手はとうに放されていたのだと、あの日、疑いようもなく思い知ったのだ。

 いつの間にか子供は男になって、そして鬼になった。
 鬼にとって、柔い人の女など餌にしかならない。
 必要なのは、魂ごと貪り合う無二の番。
 口づけは食人の名残だ。
 鋭く研いだ牙を立てて噛み合い、滴る血の色に染め上げた糸をお互いの指に絡め、愛おしげに口づけて笑う。
 彼らは、そういう路を選んだ。

「なんでそんな辛い恋を選んじゃうのさって、正直思うよね」

 納得はしてもやはり歓迎は出来ずに、落とす息は自然苦いものとなる。過保護だと笑わば笑え。

「もっと幸せになれる道が、いくらだって転がってるのにさ。よりにもよって一番キツい相手を選ばなくてもいいじゃない」

 彼らの往く路の果ては、違えず修羅道。たとえ共に歩む術を与えられたとて、彼らはそれを選ばないだろう。
 牙を折られた瞬間に、お互いにとっての存在は無意味なものに成り果てる。
 愛しさも甘さも、指を絡めて囁く睦言さえ、目映いほどに純粋な殺意の上にのみ成り立つものなれば。

「それでも、止める気はないんだろう」

 この世で唯一、己と同じ位置に立つ男が、くすりと笑った。諦めと幸いを、その口の端に同時に滲ませて。

「結局のところ、主が幸せならばそれでいいってことだ」

 お前も、俺も、な。

 あっさり括られて、堪らず天を仰ぐ。
 雲ひとつない空は、吸い込まれそうなほど青い。
 至上の蒼。
 澄んだその色を震わすように、一際高く金属の打ち合う音が響く。続けて聞こえてくるのは、ひどく楽しげな主たちの声音だ。
 罵っているんだか挑発してるんだか愛を囁いているんだかイマイチ不明な怒鳴り声は、しかし子供のように純粋でいっそ微笑ましい。
 爆音ひとつごとに見る影もなく破壊されていく美しい庭を平たい眼で眺めて、佐助はずずずと白湯を啜った。

「……修理費、やっぱ折半ですかね右目の旦那」
「……舐めんな。うちはそこまでケチじゃねえ」

 接待交際費で落としといてやる、と言いおいて立ち上がり、結局主たちの口にはひとつも入らないまま空になった菓子盆を取り上げて、この城の主人の傳役は去っていく。おそらくは湯殿の支度でもしに行ったのだろう。全くよく出来た側近だ。
 感心しつつも上田に竜の旦那が来た場合あの役目ってやっぱ俺様になんだよねやだなあ、と今からげんなりして、佐助は湯呑みに残された白湯を干した。

 無惨に荒れ果てた庭の隅で、爆風に煽られた百日紅がまたひとひら、花弁を散らす。
 けれど火のように紅いその華は、地に落ちるより早く風に捲かれ、澄み切った蒼穹へと舞い上がった。


[了]


----------------------------------------------------------------------------

夏に仕入れた萌をどうにか消化できんもんかとつらつら考えていた結果の産物。
シャワー浴びつつぼんやり考えていたことを殴り書いただけなので大して内容はないですが、
自分流サナダテ解釈的な習作ってことで。まあただの整理です。
従者ズは別に仲良くないけど何となく同志というか、お前も大変だな的シンパシーで繋がってるといい。
そんで佐助は伊達主従にもこき使われてればいい。
主たちはバトル終了後別のバトルになだれ込むのでお風呂が必要とかそんなどうでもいい補足説明。